最高裁判所第一小法廷 昭和35年(オ)1236号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔要旨〕賃貸人、賃借人双方の事情を比照し、当該借家を生活上必要とする度合に優劣なしと認められた場合、賃貸人が所有者であることに着目して解約申入に正当の事由があるとすることは正当である。
〔説明〕最高裁判決は、一審理由をそのまま引用した第二審判決の判断を正当として認容している。この一審判決理由は、次のようなかなり注目すべき判示をしている。
「以上判示した原被告双方の事情を比照すれば、原被告とも、本件建物を生活上必要とすることは明らかであり、その必要の度合に優劣もないけれども、必要の度合い優劣がないとすれば、本来資本主義制度の下に所有権の尊重を建前とする我が法制の下では、たとえ社会的相互依存の見地からする修正的解釈を加えても、借家法第一条の二の「賃貸人が自ら使用することを必要とする場合その他正当の事由ある場合」の規定の解釈としては、本件の原告の解約申入には、正当の事由があつたものと解するのを相当とする。」と。
この一審判決の思想的根拠としては、「所有権は何といつても強力な権利であり、所有者が自己の所有物を使用する必要ある場合は相当重視されて然るべきである。」(最判昭和二六年四月二四日民集五巻五号三〇一頁)とする最高裁判決があつたと思われるが、この判決に対しては、学説の反対が多い。例えば、後藤清教授批評(民商二八巻二号三五頁)は、「本判決は所有権偏重の態度を露骨に示していることを指摘したい。『所有権は何といつても強力な権利である』ということを頭の中心においているために、その判示するところがはなはだ偏つたものになつてしまつていることを指摘したいのである。」とし、かかる思想に対して「疑問なきを得ない。」といつている。広瀬武文氏「家屋明渡における正当事由」(総合判例研究叢書民法(1))九二頁も、右判決について同様の点を指摘し、更に判例理論の転換は住宅難がもたらしたものであるとする最判昭二五年二月一四日(民集四巻二号二九頁)に言及して、「住宅事情が好転すれば、再び個人的利害関係の調整を第一義とする思想へ復活するとの示唆を受ける。」といつている。
右判決と対立する考え方として、例えば、下級審判決であるが、長野地判昭和二七年三月一九日(下民集三巻三号三八一頁)は、建物の利用関係について家主と借家人との利益が同等であると認めた上で、訴訟の一般原則によつて借家人の現在の占有状態を尊重することが至当であるとする。そして、広瀬前掲は、かかる立場に立つて、「実主から借家契約を継続するかどうかを決定する自由を奪い、家主側に正当事由がある場合にのみ借家契約は継続しないとの借家法一条の二の趣旨を思えば、借家人の建物使用についての利益を家主の建物使用についての必要に優先せしめることが至当であろう。」と説いている。
結局、家主と借家人の双方に使用の必要がある場合、家主の所有権を優先させるか、借家人の現在の居住を優先させるかは、殆んど世界観的な深さにまで遡りうる相反する両見解である。具体的な諸裁判例が、こういう双方に必要性ある場合に――理論として右のいずれをとるかは明言しなくても――結論としてどちらを勝たせているか。これについて、鈴木禄弥教授「居住権論」一八五頁は、統計的分析の結果「どちらが重視されるかの一般論は成立しない」と報告している。
本件上告理由は、一審判決中の「正当事由解釈上所有権を尊重すべし」とする見解を攻撃するものであつたので、正にこの論点が問題となつていた。本最高裁判決は、確定事実の下において正当事由ありとした原審の判断は正当である旨を立言した上、「所論は原判示中資本主義制度云々の点を論議しているか、右原判示は被上告人が本件家屋の所有者であることに着目して本件解約申来を正当とする一つの重要の事情としているに外ならないものである。そのように解することは借家法の正当解釈を誤つたものということはできない。」と附言した。本件では、双方の必要性が相等しいということは確定事実になつているから、結局右判示は、一審判決の論理を実質上は採用したものと言えるであろうが、判文上はそのドギッザを避けて「要するに正当事由が肯定されたのだ」とアッサリ片付けたわけである。判例集には登載されないようであるが、借家法一条ノ二の解釈上重要な意義を有する事例と考えられる。